源氏物語一帖目、桐壷の巻をふりかえる。光源氏の誕生、母、桐壷の更衣の死。当時物語ではタブーだった“老病死”の苦しみを正面から取り上げている。ではなぜ当時の物語で、“老病死”の苦を描くことがタブーだったのか。当時、主人公は紙や天皇(現人神とされる)の子孫となっていた。神が老病死で苦しむ、ということになれば、ただの人間になってしまう、ということも原因の一つに考えられる。作者は人間の現実を描きたかった。
2帖目の帚木の巻。光源氏17才。正妻と結婚して5年目。あこがれる人は藤壺の宮。雨夜の品定めで男友達と女性談義。人間を上中下に分けても、社会の変動にともない、人々の身分、立場も流動していくことを語る(光源氏)
又、物語全体を見ての話になるが、作者が、罪のかたまりであったと描写したのが4人の皇族だった。それからうかがえる作者の人間観。人間性の実体は、みな等しいのではないか。雨夜の品定めのあとの光源氏の行動と、3帖目、空蝉のあらすじ。
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【こぼれ話】
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発表のとき、物語の中で罪のかたまりとして描かれているのが、皇族の4人で、現代の学者も?というお話をしました。
ところで紫式部の仕えていた一条天皇の妃、彰子は、藤原道長の娘ですが、“藤壺の女御”と呼ばれていました。どこかで聞いたことがあるぞ、と思われる人も多いと思います。なぜなら、源氏物語の中で、主人公光る源氏が恋い慕う理想の女性が継母“藤壺の女御”で、よく登場しますから。彼女は、不義の子(源氏の子)を出産します。
現代の有名な女流作家が皇室の妃の家庭教師になって、同じことが書けるか、となると難しいでしょうね。男性の学者たちは、女性は政治や組織に対する感覚が鈍いから書けた、とか、だから道長や天皇にもギリギリのところで許してもらえたのでは、、、と言っています。確かに女性だからこそ踏み込んでいけたところがあるのかもしれません。
ただ、後々には紫式部も宮廷を追われることになります。
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